第3回「汚職天国をめぐる攻防」(生々流転vol.5)

      インドネシアには天国がふたつあると言われてきた。タバコ天国と汚職天国だ。

   タバコ愛好家が我が物顔で紫煙をくゆらせても許された時代は過ぎ去りつつあるが、汚職は全く衰える気配が見えない。今年に入ってからだけでも、県の幹部への昇進や人事異動で県職員から賄賂を受け取っていた県知事、牛肉輸入で有利になるように頼まれた判事など相変わらず多彩な汚職事件が次々と発覚している。

 

   それでも今月始めに明らかになった電子住民証汚職疑惑には、多少の汚職では驚かないインドネシア人もさすがに怒り心頭だろう。発端は国民全員が保持を義務付けられる住民票を電子化して旅券発給や健康保険などの行政事務を便利にしようと始まった国家的プロジェクトで、その予算は総額5.9兆ルピアと巨額だ。

    汚職撲滅委員会(Komisi Pemberantasan Korupsi, KPK)の捜査によると、なんとその約半分(今のレートでもほぼ2億ドル)を関係者みんなで山分けしようと企んで、事業受注会社の中心人物1人と国会の大物3人が黒幕となって采配したというのだから大胆極まりない。事業を主管する内務省の大臣・次官らの高官、国会では議長を含めて62議員、更にはプロジェクトの入札を管理する委員にまで金をばら撒く念の入れようだが、黒幕4人は抜け目なく分配金全体の半分近くの大金を懐にしている。
    その4人以外でも内務大臣の450万ドルを含めて100万ドル以上を受け取った人は10人以上もいる。日本の常識をはるかに超えた巨大な構造汚職だ。

       汚職撲滅委員会は2002年の設立から15年間で、立法府国会議員約50人、行政府では閣僚と州知事だけで約20人、司法の世界でも憲法裁判所長官らを逮捕している。官僚や市長・県知事、実業家の逮捕者は数知れずという有様で、「巨悪は眠らせない」東京地検特捜部も真っ青になりそうな八面六臂の大活躍である。

    汚職撲滅委員会はスハルト大統領の独裁的な(従って汚職体質の)体制が崩壊した後の自由・改革の時代に生まれたから、盗聴などの捜査から起訴まで強大な権限が特別法で付与されている。裁判も特別法廷だから摘発された汚職犯は高い割合で有罪になっている。「裁判も金次第」はここでは効かない。汚職撲滅を願う市民にはこれほど頼もしい存在はないが、濡れ手に粟の裏金を手にしたい人間には目の上のタンコブだ。

 

    バリ島のある村に消防自動車を寄付した時のことだが、その地の県知事に始めて相談に行った時には先方も大いに乗り気で喜んでくれたのに、打ち合わせを重ねて計画が煮詰まるにつれて何故か知事の態度が消極的になって困ったことがあった。どうやら汚職撲滅委員会の目が恐ろしいのだと分かり、決して汚職と疑われるようなプロジェクトではなくて村民やバリの文化財を守るために必要なのだと知事を説得し直すのに苦労したことがある。ことほど左様に汚職撲滅委員会の存在は怖い存在になっている。 

   ところが実際には汚職は無くならない。なぜだろうか。いつだったか汚職で有罪判決を受けた女の囚人が、刑務所でエアコン付きの部屋にソファーなどの家具を持ち込み、週に2回は美容師を呼んでいただけでなく、週末には自宅に帰っていた実態が明らかになったことがある。文字通り「別荘」生活だ。大物の汚職囚人にとっては、今も実態はさほど変わってないらしい。

   おまけに過去3年の汚職裁判の判決は統計的に刑期が短くなっている。これでは刑期が明けるのを待って、隠しておいた収賄の金をゆっくり使おうと考える不届き者が現れるのも分かる気がする。彼らにとっては捕まるリスクより、金の魔力の方が大きいのだろう。明日は我が身と思っている人たちが、刑務所での「待遇」を本来の厳しい環境に戻すのを阻んでいるのではないかと勘繰りたくもなる。

 

    汚職をめぐるこの国の政治や国民意識については、日本との比較でも興味が尽きないが、この国ではメディアやSNS、学者や市民団体など実に多くの人が汚職撲滅のための行動を執拗に続けている。その熱心さ、そして多数の国民がそれに力強く呼応している姿を見るといつものことながら感心してしまう。

   そればかりでなく、この国の政治エリートが多くの場合こうした国民の声に対して辛抱強く対話優先の態度を取っている。内心では苦々しく思っているのだろうが、世論を置き去りにして多数で押し切ることは滅多にない。

    時にいつまでも堂々巡りの議論を続けているような焦れったさを感じることもあるが、この汚職をめぐる市民と政治エリートのやり取りがこの国の新しい伝統になっているのかも知れない。そんなことをつらつら考える時、オランダの植民支配から脱却するために、武力では圧倒的に劣る戦いを兵士だけではなく全国民の団結で補ったという独立戦争への自信と誇りに似た感情がそうした姿勢の背景にあるのではないか、そんな思いがふと頭に浮かぶのだが、それはいかにもインドネシアに肩入れし過ぎた考えだと言われるかも知れない。