第13回 「コメ問題にみるインドネシア」

       久しぶりにちょっと溜飲が下がる記事に出会った。そこには、「政府の補助金を受けた安いコメを一般の普通米と混ぜ合わせ、それに不当に高い値段をつけて販売した業者が摘発され社長が逮捕された」と報じられていた。しかもその会社はスーパーのコメ売り場でもよく目にする大手の精米・流通会社(IBU社)だ。
    コメは国民2億6千万人の主食だから、稲作農家と消費者の間で暴利を貪る中間業者は悪徳商人の代表のように見られている。私がインドネシア語のテキストとして使っていたインドネシアの小学生向け「国語」の教科書の中にも、貧しく無知な農民に金を貸し付けて収穫時にモミを安く買い叩く高利貸しが描かれていた。その高利貸しのことを教科書では吸血虫と呼んでいたように覚えている。

    そんな記憶もあったので、この事件では警察当局が悪徳商人にお灸を据えて、一罰百戒を狙ったショック療法をしたのだろうと拍手を送りたい気分になったのである。

    ところがその後、社会大臣があの会社は政府の補助米を使っていないと発言し、警察も「米袋の表示が中身の品質と異なる」と摘発理由が微妙に変わってきた。そのうちIBU社は農民から政府買い入れ価格よりも高い値段で買っていたので生産者には歓迎だったと報じられると、どうも「水戸黄門と悪徳代官」の構図とは少し違うのではないかという気配が漂ってきた。風向きが変わっているようだがたまに新聞を読むだけではなんだか分かりにくい。

 

 そもそも今回の事件の発端は消費者米価が高止まりしていることに庶民が不満を募らせていたことにあった。ジョコウィ大統領はテレビのインタビューでコメの価格は毎朝モニターしていると語ったことがある。庶民と同じ気持ちで毎日暮らしてますよ、というメッセージだったのかも知れない。それほどコメは庶民の象徴なのだ。

    国民総生産における農林水産業の構成比はスハルト政権初期(1967年)の5割以上から今や10%余りに落ちているが、それでもコメの値段は依然として国民の重大な関心事だ。ある評論家は、大統領から米価の高止まりを閣議で詰問されたので、大統領への忠誠心を示したい担当閣僚が警察と一緒に庶民受けする捕物を派手に演出したのだろう、と解説している。

 

    農業政策、なかんずく米価の問題は悪役一人に責任を負わせて済むような単純な問題でないのは言うまでもない。特にインドネシアのような大きな途上国では政治や国民感情などが複雑に絡み合っていて一筋縄ではいかない。政策面だけを見ても、耕作地0.3ha以下の零細農民と生産性の問題、巨額に達する農業補助金の複雑さと効率性、価格安定化のための組織であるべき食糧庁の限界、そして今回の流通の問題などなど、いずれも難問が並んでいる。驚くべきは、具体策の立案に欠かせない統計への信頼まで揺らいでいることだ。

     今回の事件の背景としてまずコメの値段、普通米の平均価格の変化を見てみよう。2014年にはキロあたり8,944ルピアだったのが、翌年に10,153ルピアに急騰、16年には10,750ルピアになったと報じられた。その後も、コメの収穫期などに多少の変動はあるが基本的にこの高値が現在まで続いている。国民の不満が鬱積(うっせき)して当然だ。

     ある農業専門家によれば、エルニーニョによる乾期の影響が懸念された2015年に農業省はコメの大幅増産実現の見通しを発表、統計局もそれを追認した結果、政府はコメの輸入の終了を発表した。しかしこの専門家による現地調査では実際の収穫は前年を下回っていたから、高値の基本的な原因は単なる需給のアンバランスだと指摘している。

     統計上の誤りが政府に誤った自信を与え、その自信が施策を誤らせ備蓄の判断をも遅らせたということらしい。インドネシアの農政、「日暮れて道遠し」の思いを深くする。

 

     政治家としては国民の心理に大きく影響する農業特に米作の問題での不手際を認めたくないだろう。もちろん中間マージンの問題があるのも否定できない。全国には18万ヶ所の精米所が存在するが、8%の大手精米会社が流通米の60%の精米を支配しているという話を聞いたりすると、米価の高騰で悩む庶民が怒りのやり場として「中間業者悪人説」に陥りやすいのも理解はできる。

     しかし先に見たように農業は地道で確実な施策の積み重ねが必要な分野のはずだ。誰がやっても簡単な問題ではないのだから、それをみんなで共有するところから出発せざるを得ないような気がする。間違っても、政治家がこの問題を単なる政治的なアピールや攻撃材料に使わないようにしないと、結局ツケは今回のように庶民に回ってくる。

     折からまだまだ先と思っていた総選挙と大統領選挙が、もうすっかり選挙モードに入ったように騒がしくなっている。しかもジャカルタ州知事選挙でみんなが反省したはずの、言いたい放題の非難中傷合戦がまたもやぶり返している気配だ。インドネシアの将来にとって大事な農業と農村と農家の問題が、この醜い選挙戦に巻き込まれて、それでなくても難しい問題なのに更に揉みくちゃにされてしまわないように祈るばかりである。(了)