第2回「宗教・人種が共存する風景」

       ジャカルタの知事選挙は嘆かわしい誹謗中傷、ブラックキャンペーンの嵐だったようだ。これだけ激しく遣り合うと住民の間に生じた亀裂はどうなるのか心配になってくるが、インドネシアで宗教や人種・種族が話題になるとふと想い出す光景が幾つかある。

 

       その一つはスマトラ島の北部にあるトバ湖だ。世界最大級のカルデラ湖で、湖の中に浮かぶサモシール島が琵琶湖とほぼ同じ広さという広大な景色である。スマトラの脊梁、ブキットバリサン山脈の奥深く、海抜900メートルのところに位置している。

      トバ湖を生んだ大噴火はその火山灰で世界の気温を数十年間にわたって平均5度も下げるほどの巨大規模だった。その急峻な山岳に阻まれてイスラム教の浸透が遅れたために、バタック族に属するこの地域の住民はほとんどがキリスト教徒だ。そのため湖から外輪山に向かう傾斜地には緑の草原を背景に瀟洒な教会が見えたりする。その景色はスイス高原地帯の絵葉書のようだ。

   そのトバ湖からマラッカ海峡の方角に山道を下ると、熱帯雨林を越え、次いでパーム椰子農園の間などを進むことになるが、そこを過ぎる辺りから、キリスト教会ばかりだった景色にイスラムのモスクが増え始める。

   シアンタールという町まで下ると、キリスト教会とモスクが同じように散在している。その昔、イスラム教徒とクリスチャンがこの辺りで初めて遭遇した頃はどうだったのだろうか、やはり大きな諍いが起こったのだろうかなどとと想像するが、その町にある大学の教授は今は穏やかに共存していると静かに話していた。

 

   次に想い出すのはフローレス島だ。バリ島の東方に連なる小スンダ諸島の一つで、島の中部の山頂近くに色の違う湖が3つ並んでいる。上空を通過する飛行機からも良く見える。

  独立運動を主導したスカルノ初代大統領がオランダ植民地政府によって流刑された場所としても有名だ。30年以上前になるが、スカルノが流刑時に住んでいた家を訪ね、中を見せてもらったことがある。何の看板もない普通の民家だったので、私が見たのは実は隣の家だったのではないかと今も密かに疑念が頭をかすめたりする。

   フローレス島は長野県とほぼ同じ広さだが、東西に長いので南海岸にあるスカルノ流刑地のエンデから北海岸のマウメレの町までは距離的には短い。先述の3色湖はその途中にある。

   翌朝マウメレに向かう私に、ホテルのスタッフは昼頃には着くと請け負ったが、実際には夕方まで掛かった。小さなバスは恐ろしげな崖っぷちを縫うように進み、点々と存在する村をつないで行った。

   今日のテーマとの関係で興味深かったのは、現地の人が、ひとつ向こうの村に行ったらもう言葉は違う、と話していたことだった。狭い島だから、ひと山越え、谷を渡ったらもう種族も別ということらしい。

  資料によれば、この島には8民族、6言語があると記録されているから、実際にはそれほどではないだろう。ただ、のどかな起伏に富んだこの小さな島の中ですら、複雑な文化のヒダが織り込まれていると考えると、多様なインドネシア社会の奥深さを感じさせられたものだ。

 

   インドネシアの学校では子どもたちが「多様性の調和」を称える歌を良く唱和している。この国の人たちは、この調和に至るまでには長い争闘の歴史と多くの犠牲があったことを、父の語りを聞くように幼少時から耳にし、実感として体得しているのだろう。

    植民地時代にインドネシア各地の青年たちが集まって、「一つの祖国、一つの民族、一つの言語」と宣言したのは約90年前、その実態は祖国も民族も言語もバラバラだったからこその宣言だった。独立後もイスラム国家建設や各地域の分離独立を巡る武力衝突が起きている。少しでも気を抜いたら「一つの国家」は崩壊すると警戒させる事件はその後も続いた。

    世界では今も内戦や国の分裂が起きているが、インドネシアにとってそれは他人事ではないに違いない。それ故に「多様性」とか「調和」「寛容」などの言葉でインドネシア人が感じる意味合いは、それを歴史的な知識としてしか知らない外国人とは次元の異なる深さがあるのだろうと思う。

    それにもかかわらず今回の選挙で発生した騒動は一体何なのだろう。大事な社会の一体性を危うくすると誰もが分かっているはずなのに、どんな事情が背景にあるのだろうか。政治がらみの要素が大きいようだが、この国のファンの一人としては、多少でもインドネシアの心情を理解できないだろうかと思いを巡らせてみたりしている。