第5回「優しいインドネシア語」(生々流転vol.9より

      インドネシア語は難しいか、それともやさしいか。インドネシア語と数十年も取り組んできた先輩がいまだに、完璧だと自信が持てるインネシア語を書くのに苦労していると述懐するのを聞いたりすると、その難しさを想像してため息が出る。

    インドネシアのように歴史ある文化の中で育った言語であれば、その言語もきっと微妙で奥行きのある発展を遂げているのだろうと私も思う。しかし、少なくとも初心者にはこれほど入りやすい言葉はないだろうというのが私の率直な感想だ。おそらくインドネシアに赴任してインドネシア語を勉強したことのある人の多くは同じような印象を持っているのではないだろうか。

 

    今はマンションやアパートメントに住む人が圧倒的に多いが、かつては一戸建ての家を借りるのが外国人にとって一般的だった。初めてヒルトンホテル(現在のスルタン・ホテル)の敷地内にマンションが建った時には、ジャカルタの発展と近代化を改めて実感したものだ。当時の上司がそのマンションに移ろうとしたが、規定の住宅手当では全く足らずあきらめたのを覚えている。その頃はマンションなどの数は限られていたし、借料も一軒家の方がずっと手頃だった。

    しかし一軒家に住むとどうしても数人の使用人が同居することになる。お手伝いさんの他、庭や家回りの修理やそうじなどを行う男手も必要になるし、(当時は人件費も安かったので)運転手を雇えば、家の中には常時複数のインドネシア人がいることになる。家事や外出の際の言付けなど必要最小限の接触に限っても、彼らとのコミュニケーションにインドネシア語は欠かせない。突然の停電や雨漏りがあれば、その対応で身近にいる使用人との会話は不可避だ。駐在員が代々続いた家には日本語の上手なお手伝いさんがいることもあるが、それはむしろ例外だから、ジャカルタで生きていくにはインドネシア語は「必需品」だった。

 

    その頃にインドネシアに初めて駐在員を送り出した会社の管理部門から出張してきた人に会ったことがある。日本料理屋は数えるほどで、日本食品の専門店など期待できない時代だから、子ども連れの若夫婦、とりわけ夫人の苦労はいかばかりかと心配になって様子を見に来たのである。

    旦那は社命を受けての赴任で覚悟もできているだろうし、会社では仕事で時間が過ぎていく。しかし言葉も習慣も日本とは大きく違う環境の中で突然生活することになり、家事と子育てを任された夫人はどのような時間を過ごしているのか。赴任から数ヶ月、そろそろ我慢の限界に達しているかと思いきや、自宅を訪ねたその人は、夫人が奇妙な外国語(インドネシア語)を駆使して使用人に次々に指示をしている姿を見て驚き、安心したと言う。 

    その夫人の語学力の向上は、本人の必死の勉強の成果であろうが、インドネシア語自体が「初心者に優しい言葉」であることも少なからず貢献していたと思う。多くの外国語のように、発音や文法などの入り口でつまずくことはまずない。文法などは融通無碍過ぎて心配になるくらいだ。インドネシア語の教科書みたいな話で恐縮だが、例えば、「彼は遅れて来た」と言おうとする。「彼」(dia) と「遅れて」(terlambat)と「来た」(datang)の3つの単語だけの文章だが、この3つをどういう順番で言っても大丈夫だ。しかも現在形か過去形か、あるいは未来形かなどと面倒なことを考える必要はない。何より外国人にとってありがたいのは、仮に多少インドネシア語がおかしくても、相手のインドネシア人が気持ちよく喜んでくれることだ。インドネシア語は「易しい」だけでなく、「優しい」言葉なのだ。

 

    外国に行った時に、土地の言葉を知っているかどうかで楽しみ方が随分と違うとよく言われる。これは旅行でも赴任でも変わらない。先の夫人も恐らく新しい言葉に慣れるにつれてこの国の見え方が変わっていったことだろう。とにかくインドネシア語は極端に言えば習い始めた途端に使える。単語を10個覚えたら、目の前に10個分の世界が広がってくる。20個習えば、周りの世界が更に広がる便利な言葉だ。

     間違いを気にせずに近くの人とコミュニケーションが出来るのは、初めての外国暮らしの人間にはありがたいことだ。念のためにひとつだけ、当時と今との大きな違いを付け加えると、当時は多くの場合、インドネシア語を話す相手が家庭内の個人的使用人であったり、勤め先でも日本人が管理職で身分上も上位であることが多かったが、現在は必ずしもそうでないということだろうか。

 インドネシア語では、話し方によって、話し手と聞き手の上下関係が微妙に、しかしかなりはっきりと現れる。インドネシア人も時に相手が年上か、社会的地位はどうか、などに気を使っている。友人や同僚が相手の時には、そういう気持ちを忘れずに話すことの方が、言葉が上手いか下手かということより重要かも知れない。

 

     東南アジアに進出した企業からの法律相談などを行っている弁護士の講演録を読む機会があった。それによるとインドネシア関係で扱う社内不正や労務問題のトラブルの多くは日本人の駐在者が積極的に従業員とのコミュニケーションを図っていれば大きな問題にならない可能性が高い、と指摘されている。

     組織の問題であるから個人のコミュニケーションのように単純な話ではないであろう。しかし個人的にインドネシア人と多少でも交流があったり、あるいは日常会話の経験がある人の方が、仕事上のコミュニケーションも自然に進むのではないだろうか。しかもインドネシアの人達はフランクな付き合いを大事にするし、日本式に言えば「顔が繋がっている」かどうかで物事の進み方に大きな違いが出るとよく言われる。

     

外国人向けのマンションなど居住環境やその他の理由によって「インドネシア」との接点が少なくならざるを得ない事情もあるかも知れないが、もし「優しいインドネシア語」をまだ活用していない方がおられるとしたら、それは随分ともったいないことかも知れない。