第20回 ジョコウィの『周辺からの開発』を考える

       ジョコウィ大統領は今年、パプア地方を3回訪問している。大統領に就任したばかりの2014年末には早々と州都ジャヤプラを訪れ、キリスト教徒の多い同地の住民と一緒にクリスマスを祝っている。大統領としては初めてのことであると当時のマスコミは報じて歓迎した。

       私は当初、大統領の人気取りの気持ちが混じった政治的なジェスチャーではないか、と少し距離を置いて見ていたが、その後も大統領は頻繁に訪問している。大統領の動静を伝える報道を見ていると、パプア地方だけでなく、東西5千キロの広大なインドネシアの僻地、遠隔地に大統領は意図的に信念を持って訪れていることが分かる。自分自身は典型的なジャワ人だが、新政権が向かう大きな海図の中で、まずはジャワ中心主義からの脱却を示したかったのだろう。
        ジョコウィ氏は、大統領当選が決まった直後の演説で「周辺からの経済開発」を訴えた。インドネシア経済を飛躍的に発展させたスハルト政権が、マクロの経済発展を重視し、開発の成果である富と豊かさは徐々に地方や庶民に滴り広がっていく、という、いわゆる「滴り理論」を経済政策の基本にしたこととの違いを明確に意識した発言だと思う。ジョコウィ大統領は、周辺が豊かになることで中央が盛り上がっていく、と主張している。「周辺」とは、地理的に遠隔の地であり、都市との対比での村落であり、あるいは未だに開発の豊かさを実感できない庶民である。大統領のパプア訪問はその象徴的な意味合いがあるのだろう。


      「周辺からの開発」を視覚的にもしっかりと国民に印象づけるのはやはりインドネシア各地で進むインフラ整備の写真だ。農地を広げ潤すダムや貯水池が次々に建設、改修され、海路はるばる数日を要した町に飛行機が飛ぶようになる。港も改修される。ジャワ島でも断食明け正月で赤ん坊を抱えながら故郷の村々に帰省する人々がジャワ横断高速道路建設の進展で激しい交通渋滞から徐々に解放されている。
        毎日のように報じられるそうしたインフラ整備の写真や映像の中で、個人的に印象が強いのはやはりパプア縦貫高速道路建設だ。大統領がバイクで新しい舗装道を走る映像が流れたこともある。ジャングルを切り裂いて地平線まで延びる道路はひと昔前なら夢の世界の話だろう。
       パプア地方には私も3度ほど行ったことがある。最初は1974年の11月だった。戦時中にパプアで亡くなり、そのままになっていた日本兵の遺骨を収集して持ち帰るために日本の厚生省が派遣した一行に同行した。一行はグリーンスネークなどの毒ヘビの血清も携行していた。若い将校の警護で幻の湖と呼ばれていたセンタニ湖を渡り、対岸から更に奥地へわずか30キロほど進むのに、4輪駆動車で数時間かかったのを覚えている。雨が多かったこともあるが酷い道路だった。パプアの高速道路は文字通り夢のようである。
       おそらくインドネシアの多くの人たちは、今進行中の数々のインフラ建設の一つ一つに、自分の子どもの頃の体験などを重ねながら「夢のような」印象を刻んでいるのではないだろうか。単に街並みが変わったのとは次元の違う変貌に「発展」を実感していることだろう。ちょっと脇道に逸れるが、再来年の大統領選挙でジョコウィ氏と争うことを考えている政治家や政党にとっては、インドネシアの大地に次々に新しい顔を見せるインフラ建設とその先頭に立つジョコウィ大統領というイメージは難攻不落の砦のように映っているに違いない。


       ところでこんなにたくさんのインフラをいっぺんに建設して大丈夫なんだろうか、という疑問はどうしても拭えない。調査・設計、資金調達、建設管理等々、本当にきちっと出来ているのだろうか。ジョコウィ政権の初期はマジックのようなその華やかさに目を奪われていたが、3年を経過してそういう冷めた視線も増えてきた。
       日本でも、クマが通る高速道路、などと揶揄(やゆ)された例があるが、あの夢のパプア縦断道路は大丈夫なんだろうか。素人目で見ても維持費だけで将来かなりの負担となりそうな気がする。経済性などはどのように考えられているのだろう。すでに先行して始まっている定期高速海運網構想がひとつの参考になるかも知れない。開発の立ち遅れた東部インドネシアをジャワ島と結んで、地域間の格差を縮め、同時に東部の開発を促す計画だ。現在13航路が開設されているが、来年には28航路に拡充される。運行から3年目、東から西に向かう帰りの船便は未だに積載可能量の20%しか積荷がないという。ちなみに、今年は3350億ルピア、来年も4470億ルピアの補助金が予算に計上されている。大統領は、鶏が先か卵が先かで、セメントがジャワの10倍以上の値段のままではいつまで経っても地域経済は育たない、と反論している。
       この関連でイヤなニュースを紹介すると、4月にフィリピンのドゥテルテ大統領と一緒に華々しく開設したダバオとマナド間の貨物船の就航がある。実はフィリピンからマナドへ1度就航(往復)しただけで終わっていると今月報じられた。従来の所要時間3ー5日を36時間に短縮し、運賃も2200ドルから700ドルに削減とうたわれたASEAN東部地域の新しい海運のパイオニアになるはずだった。


       ジョコウィ大統領のインフラ整備が国際的にも評価が高いのは、大統領就任直後に、インドネシア経済の基盤を強化するインフラ整備のために石油燃料などの巨額の補助金を削減した、その果断な政治決断が出発点になっているからだ。つまり、国民が今喜ぶ消費への補助を削り、将来の生産基盤のためにお金を使う姿勢が賞賛された。
       政府がインフラ整備に前のめりになっていると危惧する人々の間からは、経済性の低いインフラ整備は、政府資金を投入することで商品やサービスを市場価格より安く国民に提供しているだけで、つまり消費の補助と同じになってしまうと批判している。税収が思わしくない中で、そんな余裕がありますか、とも警告している。
       この議論は非常に多くの要素が複雑に絡んでいるので簡単には結論が出ないだろうが、そんな中で大統領の発言が極めて単純ながら、面目躍如であった。彼は、これは経済性の議論の前に、社会正義と公平性を第一義に考えるべき政治の姿勢の問題だ、という趣旨の発言をしている。ジャワ島の10数倍のガソリン料金、数倍の米価などの生活を強いられた同胞の存在を見過ごすことはできない、とも述べている。国際会議では投資誘致や貿易拡大など経済関係の発言ばかりが目立つジョコウィ大統領だが、やはり骨格はスカルノ信奉者だったと改めて見直す思いである。経済開発の議論を精神論にすり替えていると言う人もいるかもしれないが、ここはひとつ「民族」の持つ意味合いがやはり国によってだいぶ違うのだな、と彼の発言を受け止めておくことにしたい。(了)