第16回「ムルデカ」に込められた意味

       私の日本での学生生活は70年安保と重なったこともあり、大学のバリケード封鎖や自主講座などの大波に揉まれているうちに、いつの間にか卒業していたような印象がある。それもあって、中部ジャワの大学キャンパス近くの下宿に落ち着いてからは、ちょっと別世界で暮らすような気分だった。

    夜、国営のテレビ局からはその日の放送終了となるラユアン・プラウ・クラパだったかインドネシア・プサカだったかの曲が流れ、画面には麗しいインドネシアの映像が映し出される。殺伐とした日本のキャンパスの記憶が新鮮な身としては、理屈抜きにインドネシアの人がうらやましく感じられた。同じ民族の国家に属するということはこういう風にして実感するものなのだろうか、と妙に感心していた。  

      下宿のおじさんやおばさんが町内会の集まりに出掛けたり、隣近所の共同行事に参加してゴトン・ロヨン(相互扶助)を自慢げに語るのを聞いたりすると、日本が置き忘れてしまったものに出会ったような不思議な気分になったものだ。

      独立記念日などの式典では国是5原則のパンチャシラ(憲法の前文)が大きな声で読み上げられ、式典の主催者が「ムルデカ!」(独立、自由)と叫び、聴衆が声を揃えてそれに続く。搾取と抑圧の長い植民地時代を乗り越えて、ようやく自分の国を独立に導いた誇りと歓びが「ムルデカ」の一言に込められている、とその時の私には感じられた。


       今も政党の決起集会や国の行事などではしばしば「ムルデカ!」と参加者全員が声を合わせている。いつ頃からかはっきりしないが、私は、その「ムルデカ」と唱和する声の中に、ある種の空疎さを感じ始めた。それは私だけの感覚だろうか。

    そもそも独立したインドネシア共和国を構成するインドネシア民族とはどのようにして生まれたのだろうか。少なくともインドネシア人が誇りにするマジャパイト王国時代には、インドネシア民族という概念がまだなかっただろう。そうした疑問については様々な思索や研究の成果があるが、この国の民族意識は多くの先人が長い時間をかけて少しづつ培い育ててきた結果であるのは否定できないところだろう。その中で「ムルデカ」に象徴されるインドネシア語が果たした役割は想像以上に大きかったに違いない。その歴史的事実はよく理解できる。


  「ムルデカ」という言葉には二つの叫びが含まれているように感じられる。一つは、抑圧と非抑圧、搾取と被搾取という不条理を覆す決意、もう一つは抑圧されたインドネシア民族が内に向かって連帯感と一体感(ひとつの民族への帰属意識)を強固にしようという訴えだ。そしてこの二つは相互に補強し合う関係にある。

     「ムルデカ」に空疎さを感じるのは恐らく、一人当たりの国民所得が急上昇し、商店には商品があふれ、子供はバイクで学校に通うということが当たり前になってしまった社会で、インドネシアを不条理に抑圧する敵を仮に仮想であっても想定しにくくなっていることが大きな理由であろうと思う。

       経済開発はまだ不十分だ、外国との競争に負けるな、などと叫んでも、独立運動を支えた燃えるような対外的な民族意識に比べれば、はるかに希薄にならざるを得ない。「ムルデカ」を支える一つの柱が希薄になれば、その相互関係にあるもう一方の「同じ民族・国家への帰属意識」にも影響が出る可能性がある。国の外からの明白な脅威や敵が消滅した後に、どのようにして民族や国家への帰属意識を育てるのだろうか。

      人々の生活スタイルや社会への関わり方が多様化し将来への夢もさまざまに変化しているにもかかわらず、「ムルデカ」と叫ぶばかりで、新しい時代状況に相応しい形で民族と国家への帰属意識を育てるアプローチが欠けてはいないだろうか。そのことが「ムルデカ」の空疎さに繋がっているように思える。民族の多様性より、身近な種族や宗教的な連帯を優先する最近の風潮もそこに一つの原因があるような気がしてならない。


       もう数年前のことになるが、興味をひく世論調査の記事があった。調査は、「ムスリムでありジャワ人であるあなたにお聞きします、あなたは誰ですかと聞かれて、まずインドネシア人と答えますか、それともムスリムですか、あるいはジャワ人ですか」といった設問だった。日本人なら調査の目的を疑われかねない奇妙な設問に見えたので今でも覚えている。回答の記憶もあやふやなので、やはり「インドネシア人」の回答が圧倒していたのであろう。

      しかし今、同じ調査をしたらどうだろうか。対外的な脅威が薄れる中で、もし国民が社会の不公平感を募らせ、(主観的な判断であるにせよ)被差別感を強めていたら、そしてそのことに国が無作為であったりさらにはそれを助長しているように国民の目に映ったとしたら、調査の結果はどうなるだろうか。不公平や被差別感はいつの時代も民族や国への帰属意識を損なう大きな要因だ。

       インドネシア民族あるいは国家の一員であることに安らぎや安心感を実感しにくくなれば、例えば「マドゥラ種族の人」が、気性や習慣が同じで生まれながらの同族意識の中で暮らせる社会の方が大切だと考えるのは自然な成り行きかも知れない。あるいは小さい頃からイスラム聖典の輪読会をやった仲間たちとそのコミュニティーの方が漠然としたインドネシア民族や国家よりずっと大事だと感じる人が増えてもおかしくない。

       こういう流れが強まると、自分が帰属する一番大事な場所はインドネシアでなくなってしまう可能性すらある。杞憂に終われば良いが、インドネシア人である前に私はジャワ人だ、あるいはムスリムだ、と主張する人すら出てくかも知れない。


       ジョコウィ大統領が、パンチャシラや社会の融和が揺らいでいる状況を憂慮して、民族と国家の一体性を堅持するために宗教指導者を宮殿に集めて協力を要請したことがある。その時にあるイスラム指導者が次のように指摘したと言われる。「国民の民族的連帯感と一体感を育む原点は社会正義や公平感である。政府は果たして貧困や格差の解消などの問題を最優先課題として真剣に取り組んできただろうか」

       現代的な課題に直面すればするほど、パンチャシラはインドネシアの複雑な国柄を踏まえて考えに考え抜かれた国家理念だとつくづく感心させられる。政府は、最近の社会の亀裂を懸念して、このパンチャシラへの国民の理解を改めて深めるための模索を始めているようである。昔ながらの思想教育にとどまらず、社会正義や公平感を日々の生活の中で実現するなど、新たに連帯感を再認識できるような地道なアプローチが必要な時代になっているのかも知れない。(了)

 

 

(17.10.02)